兵庫県宍粟市千種町の豊かな自然に抱かれてのびのび育ったニワトリと有精卵
2007.3.29 No.169
研修生体験記 〜生きるために食う、食うために生きる〜
東京から来ていた大学生の研修生も1週間の研修を終えて帰っていきました。三宅島出身で中学1年の時に噴火して全島避難で東京に来たそうです。さわやかでしっかりした、いい青年でした。将来は、三宅島に帰って農業や民宿などをやりながら暮らしたいという希望。とても温かでいいところのようですが、水が少なく田んぼはないとのこと。また、ガソリンも今1?180円くらいするらしく、離島のハンディもあるようです。でも、海のものは超新鮮で豊富にあるでしょうから、そこの良さを生かしたいいやり方を見つけてもらいたいものです。
感想文を送ってと頼んでいたら早速書いてくれました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「鶏と養鶏家族から学ぶ」
〜生きるために食う、
食うために生きる〜
「えぇ暮らしや。えぇ暮らしや。」東京生まれの僕が大阪弁で思わずつぶやいちゃった。今井家に住み込みの実習に来て4日目の軽トラの荷台にて。僕はここでの生活にすごく満足していた。
今井家では口に入れるもの、何から何まで手づくり。本当に素晴らしかった。今井のおっちゃんは食べることに大きなこだわりを持っている方で、自給した野菜を食べ、自給した卵・鶏肉を食べることが大事なんだってことを僕に教えてくれた。
「鶏の卵っていうのはね、鶏の食べたエサによって味・安全性・色が決まるんだ!安全なエサを与えれば安全な卵を産むし、着色するようなエサを与えれば卵の色も自由自在に変えることができちゃう。人間だって例外じゃないよ。安全なものを食べていれば健康でいられるし、添加物などを多量摂取すれば病気にもなる。」おっちゃんのこの言葉を聞いたとき農業が将来の日本にとって大事であることを再確認した。
思えば僕が農業に興味を持ち、今こうしているのも、幼い頃から食べる物を自給し、生き抜くことに関心を持っていたからである。幼少時代、三宅島で育った僕は、ある夏休みに自給した野菜・海産物のみで生活をしようと試みたことがあった。それは何かに依存することなく生きたいという考えからであったが、これこそ今忘れられつつある人間の本能であり、たまたま僕にその本能が残っていたのだと思う。そして今井家で数日お世話になり、この考えは、こうして語れるほど明確なものになった。マジで感謝しています。
生きるために食う、食うために生きる!う〜ん、名言だ。最後に、おばちゃん、ナナちゃん、ミキちゃん、お料理ものすごい美味しかったよ。ありがとう。きっとまた行くわ!
・・・・・・・・・・・・・・・・
なかなかの文才です。さすがAO入試で大学に合格しただけあります。
最後の日に「一言感想を」と聞いた時、「生きるために食う、食うために生きる」と即座に言ったので、家族みんな笑ってしまいました。まさに、うちの家は食うだけが楽しみの家みたいなので。その通りなのですが。
彼が来ている時は朝ご飯からきちんと食べたり、ご馳走が出てきたりで、とにかくよく食べました。彼のいる一週間でみんな体重が2kgは太りました。彼がいなくなって、またご飯が元のあり合わせに戻ったら、私も子どもたちも「研修生カムバック」と思わず叫んでいました。
彼も幼い頃から自給的生活に憧れていたようですが、私も同じような思い出があります。
確か、小学3年生のころだったと思います。母親の田舎の徳島県の山の中に行った時のこと。そこのおばあさんは私たちが行ったら、2〜3時間のうちに、餅箱3つくらいに一杯のおはぎをさっと作ってくれました。食料はそんなおやつからくだものまですべて家で作った物で蓄えがいっぱい。ひっつけるノリまで米粒を練ってきれいに作ってある。その自給的な暮らしを見て、すごく豊かで素晴らしいなあと、私はとっても憧れたのを覚えています。
農業を志す者はこんな自給的な暮らしにあこがれを持つような感性があるのかもしれません。
仕事を手伝っているうちの子やこの研修生を見た人が、「この子たちを見ていたら、まだ日本にも希望があるかもしれないと思える」と言われていました。
実際、前にも書きましたように、この前、東京に行った時、「こりゃ、なんぼ農業が大事、国民みんな農業を体験しよう、なんて言っても、この『東京』の世界では全く通用しないなあ」としみじみ感じたものです。まるで別世界。
華やかな世界もいいのですが、基本的には浮き世の世界。浮かれる部分があってもいいですが、根底にしっかりと地に足をつけた部分を持っていなければ。もう少し、生きることそのものについて、「食べ物・水・空気・土」そんなものについてしっかりと考えていなければ、浮き世の世界でどんなに仕事を頑張っても、どんなに浮かれても、それは基礎のない砂上の楼閣。と、つい私も思ってしまいます。
そんな中で、この研修生のような若者はめずらしいですが、とても大事な存在ですね。
そんな人がにわかに増えていると聞きますが、そうあって欲しいものです。
ページトップへ