兵庫県宍粟市千種町の豊かな自然に抱かれてのびのび育ったニワトリと有精卵


大阪での教師生活。夫婦共々毎日帰宅時間が遅く、出来合いのものを買って来て食べる食生活。日曜日のファミレスが唯一の家族団欒の場という、教師でありながら子供との接点が持てない生活を送っていました。
 
あるとき、2歳になる長女が喜んで帰ってきました。
「こんなん見つけた!」
手には一枚の葉っぱが。落ち葉一枚で感動するなんて・・・私たち夫婦が愕然としました。ふと辺りを見回すと、アスファルトやコンクリートだらけで、土がほとんどありませんでした。
 
「もっと自然豊かなところで、子育てせなあかんなぁ。」

ちょうど長女のアトピーがひどく、安全な食べ物で育てたい、現代社会が忘れた自然のリズム・命のリズムに向き合える仕事がしたい、何よりも家族が一緒に暮らすことのできる仕事をしたいという強い意志で、農業をやってみようと決意しました。

研修のあと、入植地を探していました。そのとき“自分で家を建てた”という人に出会いました。しかも二人。家を自分で建てることができるんだということに驚き、意識革命!「全国自然養鶏会」をきっかけに、千種町で素晴らしいご一家と出会いそこに入植することに。
1989年4月、都会暮らしでたまりきった家財道具を積んで、まずは町営住宅にお世話になりました。戦後に建てられた小さな住宅は、まるで長屋暮らし。すきま風とブトと、プライバシーとはほど遠い生活を楽しみながら、田んぼと畑と土建屋さんでアルバイトをしながら養鶏のできる土地と家を建てることのできる土地を探していました。


そんなとき、小さな畑に家を建ててもいいよって言ってくださる奇特な方があり、日当たりも見晴らしも良かったので、そこに自分の家を自分の手で建てることになりました。雪の間だけスキー場のアルバイトに行き、丸一年間かけてツーバイフォー工法で施工しました。その頃はまだ元気だった父も手伝ってくれたり、アルバイトでお世話になった土建屋さんや近所の方にお世話になり、1990年の8月に町営住宅から引越し、念願の自分の家での生活がはじまりました。

住む所が落ち着き、いよいよ養鶏業に取りかかることに。土地を探しているとき、入植の時にあいさつに来て以来会ってなかった町長さんと偶然お会いし、声を掛けていただきました。まだ土地が見つかってないということを聞いて色々とお世話くださり、地主さんのご理解もあり、すぐさま候補地が決まりました。そこを訪ねると、日当たりも、見晴らしも、そして民家からも適当に離れていて最高の場所でした。

それから3年間は、時々アルバイトをしながら、鶏舎を建ててはヒナを入れ、増築してはヒナを増やし、どこかで家を解体すると聞きつければ柱をもらってくる毎日を送っていました。はじめた頃に、鶏舎の建築が間に合わず、ヒナをたくさん死なせてしまったことが、今でも悔やまれます。
 
1991年5月、三女の誕生の月に、初めてのタマゴが生まれました。

それ以降、妻は三女をおんぶしながら鶏舎作りや畑仕事を手伝ってくれました。三女はおんぶされたままニワトリに足をこづかれては蹴り返しながら、鶏舎の中で育っていきました。

産まれたタマゴを、お世話になった方々、友人知人に送ったことから販路が生まれ、以来今までずっとタマゴを買い続けてくださる方もあり、今日を迎えています。

千種の自然と、温かい人々と、そして家族に心から感謝しながら、今日もニワトリたちを育てています。