兵庫県宍粟市千種町の豊かな自然に抱かれてのびのび育ったニワトリと有精卵

 
2007.5.10 No.171
農大生こそ自ら農する人に

 先日、長女の通っている大学から、どういう分けか原稿依頼が来まして、ちょっと頑張って書いてみました。字数制限があるので思うように書けませんでしたが、よかったらご一読下さい。

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 『農大生こそ自ら農する人に』

 私は新規就農で平飼い自然養鶏を営んでいます。就農19年目、今年農大4年になる長女が3才の時でした。大阪の都会に暮らし、アトピーがひどく、自然のほとんどない街の中で小さな葉っぱを1枚拾ってきてとても喜んでいる彼女を見て、「もっと大自然の中で子供を育てたい」と、かねていつかは農業がしたいと思ってもいたので30才の時に意を決して農の世界に飛び込みました。
 それ以降、まず自分で家を建て、田んぼ・畑、そして、鶏舎作り。子どもたちといっしょに家族で力を合わせてやって来ました。長女を頭に子どもたちもよく手伝いました。学校から帰っての毎日の卵集め、休日のエサやり。田植え、草取り、稲起こし、稲刈り、畑仕事、畦の草刈り、草焼き。鶏の出し入れや鶏肉のパック詰め、冬の除雪・・・。書き出せば切りがありません。みんなで真っ暗になって家に帰る日がほとんどでした。
 子どもたちは、「また今日も手伝いか」とため息はつくものの、みんなで仕事をすることは楽しくもあり、歌いながら、笑いながら、時には叱られながら、生き生きと頑張ってくれました。
 農業にはサラリーマンのような休日はありません。私と子供との接点は仕事を通してでした。仕事をしながらいろんな話もしました。いい加減なことをしていたら拳骨も飛びました。そして、家に帰ってきたらみんなでお風呂に入ってまた遊びます。学校に行っている時以外、年がら年中一緒みたいな生活でした。
 長女が小さい時、近所の子が遊びに来ていて、「このうち、なんかヘン。ずっとお父さんがいる」って不思議がっていました。
 大学進学の話をしている時、一度、長女が言ったことがあります。「どうしてうちの家はお金がないんや」と。私は、「そのかわり、ずっと一緒にいることができた。お前が幼稚園から帰ってくる時にはドアの後ろで待ち構えていた。お前は追っかけられるのが楽しみでトントンとノックをしたらキャッキャッと逃げ回った。そんな育て方ができた。お金もそんな育て方も両方は無理だ。お父さんたちはそちらの方が大事だと思った。」と言いました。
 農業は幸か不幸か儲かりません。儲からないから、そうやって家族みんなで働くことができるのです。人は大昔からそうして家族で助け合って生きてきました。子供の仕事が「勉強とスポーツ」になったのは、ホンのここ50年。それまで、何万年と子供の仕事は「遊びと手伝い」だったと思います。遊びの中で独創性と社会性を身につけ、手伝いの中で親は子を時にはきびしく一人前の大人に育てました。
 農業には暮らしと仕事の区別はありません。暮らしそのものが仕事であり、仕事そのものが暮らしであり、「生きる」ということなのです。
 誰に指図されるわけでもなく、すべての時間を自分で決定できる。命のつながりの中で、命をつなぐ安心できる食物を作り出す。そのあふれる命の中で自らの小さな存在に感謝でき、あふれる命が子どもたちを健全に育て、そして、年老いていく命も大切にしていける。
 『農業』・・・こんな素晴らしい職業は他にはありません。実学主義を掲げる農大におかれては、卒業生はすべからく自ら土を耕す人になってもらいたい。そう願わずにはおれません。今の病んだ日本を救う道は『自ら農する』以外にないと確信いたします。