兵庫県宍粟市千種町の豊かな自然に抱かれてのびのび育ったニワトリと有精卵

 
2008.2.25 No.186
農業高校生に贈る言葉

 1月に車で30分程のところにある高校の農業科の生徒に話をさせてもらえる機会がありました。鶏のこと、今の暮らしや思いをヘタなりに話したのですが、あとで、一生懸命感想文を書いて送ってくれたのです。それで、この度、卒業するにあたり、その返事を書いて送りました。なかなかまとまっていませんが、良かったら読んでみてください。

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 先日は、私の下手な話に対してとても熱心な感想文を書いていただき、本当にありがとうございました。退屈な話だったでしょうが、しっかり聞いていてくれてたことがよく分かり、とてもうれしかったです。
 皆さん、卒業おめでとうございます。
 卒業にちなんで、この前の話の補足になりますが、少し書いてみますので、ぜひ読んでみてください。
 この前も少し話したと思うのですが、要は今、私たちの常識と思われていることでも、数十年前までは全くそんなことはなかったということや、外国では常識ではないというようなことがいっぱいあるということです。
 その一つが、子どもの世界です。5〜60年前までは、子どもは『遊び』と『手伝い』の中で大きくなってきました。それが今は『勉強』と『スポーツ』(と『ゲーム』)です。たぶん人類始まって以来、ず〜〜〜と子どもは『遊び』と『手伝い』で大きくなってきているのだと思います。子ども同士で遊ぶ中で、人の気持ちを考えることを学び、作り出す楽しさを知ります。そして、手伝いを通して、大人は、とくに親は自分の子を鍛えました。一人前の大人にするのは親の責任でした。だから、自分の仕事に手伝いで連れて行き、仕事をさせて鍛えました。もちろん、子どもの手も借りなければ仕事が済まない程大変な毎日だったからですが。
 そして、もう一つ、大人の世界も今とは全然違います。まず、もっと『百姓』がたくさんいました。とくに田舎では、大多数が百姓でした。百姓といっても、おもに自給百姓、つまり、衣食住すべてを自分たちで作り出す、そんな百姓です。そんなに現金収入はありません。そんな世界だったのです。これも有史以来、ず〜〜〜っとそんな世界だったのです。
 それはどういうことかというと、サラリーマンじゃないってことです。つまり、大人は朝7時過ぎに家を出て、夜7時頃に帰ってくる、そんな暮らしじゃない、大人も基本的にずっと家のまわりで生活している、ごはんは朝昼晩、ずっと家族みんなで食べるのが普通、そんな暮らしだったのです。(もちろん出稼ぎなどもありましたが)
 そして、仕事と生活に区別はなく、百姓的仕事がそのまま暮らしであり、暮らしそのものが百姓だったのです。ここでいう百姓とは、もちろん、田んぼ畑が中心ですが、それだけでなく、衣食住すべてを自給していました。だから『百姓』と言われたのです。つまり、百の仕事をする人。だから、百姓って悪い意味ではなく、とても素晴らしい能力の持ち主だと私は思っています。
 そして、子育ても、保育園や学校に預けるのではなく、また、お母さんだけの仕事ではなく、お父さん、お母さん、じいさん、ばあさん、きょうだい、そして、近所の人・親戚、みんなで子どもを育てる、自分の子だけでなく、一緒にいる子も、みんなをみんなで育てていた、そんな世界だったのではないでしょうか。大人が働いているそばで子どもはみんなで遊んで、少し大きくなると手伝いにかり出され、またその目を盗んで遊び…、そんな世界だったのだと思います。
 それが人類の有史以来、ず〜〜〜っと、くり返されてきたのですが、ホンのホンのこの100年以内の間、とくにこの5〜60年で人の暮らしはすっかり変わってしまいました。
 だから、今、人は壮大な実験をしているようなものです。一変した暮らしの中で人はどうなっていくのか、子どもはどう育ち、どんな大人になり、その人がまたどんな子育てをするようになるのか…。今、人類は自分たちが今まで経験したことのない世界に入って行こうとしているのだと思います。
 今の世界では、子どもは小さい時から保育園に預けられる。学校から帰っても親も誰もいない。一人でゲームをして黙々と部屋で寝ころんで遊ぶ。スポーツで人を負かすことを良しとする世界で大きくなる。勉強が人よりもできることが一番の優越感の世界で大きくなる。
 そんな世界で大きくなった人がもう世の中を動かす時代に入ってきました。さてどんな世界になっていくのでしょうか。
 
 いろいろと書いてきましたが、まとめてみます。皆さん、今からいよいよ、社会に出て行かれます。進路指導で、たぶん学校の先生方から、どんな仕事につきたいか、まず自分の将来の職業を考えろ、と言われたと思います。
 でも、それと同時に考えてみるべきことがあるのではないかと思うのです。それは、一言で言えば『どんな暮らし方をするのか』と言うことだと思います。
 何を食べて暮らすのか。どんな家庭のあり方をするのか。子どもはどうやって育てるのか。年老いた親はどうやって面倒を見るのか。…
 職業選びと同時に、この暮らし方もよく考えていかなければなりません。
 『何を食べて暮らすのか。』
 これは、今、一番大事なことかもしれません。中国ギョーザ事件に象徴されるように、スーパーやコンビニで売っている食材は、遠くで大量に作られた物が多く、遠くなるほど、生産者と消費者の関係もうすくなり、監視もゆるくなり、信頼関係も弱くなっていきます。それが当たり前です。今回のギョーザ事件は氷山の一角かもしれません。
 また、インスタントもの、冷凍物、加工食品は添加物まみれです。その中には、体に悪い物もきっと多くあると私は思っています。
 また、栄養価も違います。インスタントみそ汁と、ジャコと昆布で採ったダシで作るみそ汁とでは栄養価は全然違います。インスタントみそ汁を飲みながら、栄養ドリンクでアミノ酸を採るなんて、ほんと、喜劇のような悲劇に思えます。
 また、例えば、カレーもシチューも、電子レンジで「チン」で袋から出す物と、カレー粉を混ぜるところから自分で作ったり、小麦粉でホワイトソースを作るところからする方が、よほどおいしいし、危険な添加物はなく栄養価も高いと思います。
 このように、三食、どんな物を食べるのかという問題は、今からとても大きな問題ではないかと思います。そして、これは、どうやって子育てをするのかにも直結します。
 ひどい場合は、500円玉一つ食卓に置いておいて、これでお弁当を買って食べといてと夕食をすまさせる子育てを選ぶか、あるいは、手作りの晩ご飯をできるなら子供と一緒に時間をかけて作って、家族みんなでそれを楽しむ、そんな子育て・暮らし方をするのか。
 また、農業過程卒業の皆さんなら特に、スーパーで売ってある、季節の旬関係なしの農薬いっぱい、栄養価は少ない、そんな野菜を食べて暮らすのか、あるいは、自分で畑で無農薬の季節季節の栄養満点の野菜を食べて暮らすのか。
 その当たり、一度よく考えてみてください。10年、20年食べ続けたら、きっと、家族の健康や子どもの成長・性格に大きく影響してくると思います。
 あと、どんな子育て、どんな家庭、どんな親の老後の面倒…、もう長くなりますので省略しますが、だいたい、私の言わんとすることは分かってもらえるのではと思います。

 今の日本の社会は、正直、ちょっとおかしくなっています。「自国民の食料の安定を捨ててでも、鉄や車を売ることの方が大事、金もうけの方が大事」そう考える人が残念ながら、今の日本の指導者のようです。いろんな考え方があるとは思いますが、私は、やはり、これはおかしいと思います。もちろん、日本は狭い国ですから、どんなに農業を頑張っても、1億2千万の日本の人口は、食料輸入なしでは養っていけないそうです。でも、そうだとしても、少しでも多くの食料を安定確保しておくことを考えることが、当たり前のように私には思えるのですが。
 しかし、残念ながら、これは指導者、国の偉いさんだけの問題ではないようです。
 私たち一般国民も、「できれば土をいじるような仕事はしたくない」そう思っている人が多いのではないでしょうか。今回のギョーザ事件で、「国の自給率を上げるべき」と半分以上の人がアンケートで答えたと新聞に載っていました。でも、そう答えた人の中で、果たして、自分が農業をしてもいいと思っている人は何人いるでしょう。
 国民自身がそんな意識なので、そんな意識の指導者・政治家を選ぶようになるのだと思います。

 でも、土をおろそかにして、人は生き延びることは絶対にできないと私は思います。『米の減反面積が増えるに比例して国民の心が荒れてきた』という言葉を聞きます。1970年から日本では米を作るなという政策に変わっていきますが、それから、人の心が荒れてきたということでしょう。まさにそうかもしれません。「米を作るな」も長〜〜〜い人類の有史以来初めてのことです。
 「肉が食べたい、パンが食べたい…」日本で穫れる米や野菜にあまり感謝せず、欲ばかり言っているから心も荒れてくる…そうなのかもしれません。

 今、日本は、いや、世界は、大きな実験中です。
 確かに、一昔前までの百姓暮らしはそんなに楽なものではなく、とてもきびしい労働だったのだと思います。だから、できれば、都会で楽な暮らしをしたい、そう誰もが思ったのでしょう。それを誰もとがめることはできません。そして、今でもそれは大きな流れです。 
 でも、その結果、一変してできた今の暮らしが果たして良かったのか。このままではダメなのではないかと、多くの者が感じ始めている、それも大きな流れです。「昔の方が物は少ないけど豊かだった」とお年寄りの方が言われるのをよく聞きます。そういう意味では、数十年前に一変した世界を修正していく、大きな曲がり角に来ているのではないでしょうか。そして、それを解決していく大きな道は、やっぱり『農』だと、私は確信しています。

 できれば、皆さん自身、土を忘れずに生きていってもらえればと思います。これからの皆さんの暮らしの中に少しでも土をさわるような時間がある暮らし方を作っていってもらいたい。家族そろって畑に立つ、田んぼに立つ、そんな時間のある暮らし方を作り出していってもらいたい。きっとそれは素晴らしい世界だと思います。
 そして、農を大事にする政治家を選んでいってもらいたい。それもとても大事なことです。制度が変わらないと『農』は復活しません。そうなれば、田舎はまた元気が出てきますし、人の心もよみがえるかもしれません。
 自分自身もそんなにしっかりできていないのに、長々と書いてしまいました。どうか、皆さん、健康には十分に注意して、これからの人生、思いっきり生きていってください。
 そして、農業科・畜産科を選んだことを誇りに思えるような日が来ることを願って、頑張っていきましょう。(外国ではそんな国いっぱいあるようですよ)
 またよかったら遊びに来てください。臭くない鶏舎をぜひ一度体験してみてください。鶏のイメージがきっと変わると思います。
どうぞ、お元気で。