兵庫県宍粟市千種町の豊かな自然に抱かれてのびのび育ったニワトリと有精卵
2010.4.20
農業・農村の復興について
── 直接所得補償制度の充実と国民の農業に対する意識の向上を ──
1. 町が元気になる基本はそこに仕事があること
町おこしなど言うが、その町に人が住む条件があることがまず基本。
人が住む条件とは、
○その地域に仕事がある
○衛星都市等住宅地として立地条件がある
など
そのどちらもないならば、その地域には人が住む必要性が基本的にない。いくら町おこしなどを頑張ろうとしても、なかなか続かず無理がある。
今、25歳になる私の娘の同級生70数名中、この町に住んでいるのは10名未満。それも結婚すれば出ていきそうな者も含めて。これでは町が元気になるはずがない。
2. 田舎の仕事は農林水産業が基本
だいたいの場合、田舎では衛星都市というのは当てはまらない。だから、住める条件としては仕事があることが必要となってくる。いわゆる、「食っていける」というやつ。
田舎の仕事として何があるのか。
農林水産業
公共事業 つまり 土建業
観光業
地場産業
町工場
etc.
戦後、今まで(特にここ20年)、田舎の仕事は公共事業すなわち土建業が主であった。しかし、住む人がいてこそ公共事業が成り立つわけで、公共事業をするために人が住むのではない。つまり「人が住むために道路を作るのであり、道路を作るために人が住むのではない」
だから、土建業が主産業というのは、本来おかしな状態だったわけで、そんなことがずっと続くはずはなく、今のようになることは、実は以前から分かっていたことだったのだ。もう一度公共事業を増やせ、道路を作れ、橋を作れ、と叫ぶ人達がいるが、その気持ちはよく分かるが、どのみち、続かないことであり、もうその発想から卒業しなればならない。
観光業はどこにでも成り立つものではない。また、にわか観光はブームが去れば終わる。あるいは、共倒れ。(どこにでもある温泉がいい例)
特産品・地場産業もどこにでもあるものではない。また、いくら地場産業があっても、それだけでその地域の住民がすべて仕事にありつけるようなものではない。何か他に主産業があって、その上に特産品産業も成り立つ。
町工場は、一時期、どこの田舎にもあった。安い労働力をあてにして企業を誘致してきた。しかし、今や、安い労働力はアジア等海外に求められるようになり、日本の田舎での立地条件がなくなってきた。
となると、日本全国どこの田舎でも基本的なベースとなる仕事は、やはり、農林水産業しかない。
こうしてあらためて書くまでもないが、結局、農林水産業が衰退したから、日本の田舎は衰退してしまったのだろう。今までは、それを、土建業でごまかしていただけだ。
3. 農林水産業の復活の道・欧米では直接所得補償が確立されている
結論から言えば、私は、直接所得補償制度の確立なしでは、これは無理だと思う。それだけに頼るのはよくないかもしれないが、それなしでは絶対に無理だろうと思う。
欧米ではどうだろうか。
少し調べただけだが、欧米では農家への直接所得補償は当たり前に行われ、農家の収入の半分から7割くらいは国からの助成・補助金、つまり税金らしい。つまり半公務員のようなものなのだろう。
イギリスでは、1960年頃に自給率は40%くらいまで下がった。これではいけないという世論の下、価格支持政策・直接所得補償政策が手厚くされて農業は復活し、今では自給率は70%を超えている。この国では農家に直接渡る助成金は500万円を超えると言う。
スイスでも、アルプスの一番上の方で、羊を12頭飼うだけでその家には年間400数十万円の所得補償(税金)がはいるらしい。逆に環境を守るためにそれ以上飼ってはいけないらしい。つまり、環境維持費のようなものだ。
他の欧米諸国でもどうやら同じようなことが行われているようだ。ある教授の話では、EUの予算の8割は農業予算という。
つまり、多くの欧米諸国では、農業が維持されるためにはきちんとした価格補償、あるいは、所得補償をするのは当然、自由競争だけでは維持できない、そのために税金を使うのは当たり前ということがきちっと認識されているようだ。オーストラリアのように一軒の農家の面積が何千ヘクタールというような全く桁の違う国は別だが、自由競争でやっているように思われているアメリカでさえ、実は、世界で一番くらい農家に補助金を出しているらしい。
4. 日本の場合は?
残念ながら、今や日本は、世界で一番、農業保護削減に積極的な国になったそうだ。
一番大きいのは、食管制度がなくなって生産者米価というのがなくなったことだろう。結局あれが直接所得補償だったのではないか。
当時、国の三大赤字(国鉄、健康保険、食管会計)の一つといわれ、ずいぶん叩かれた。
しかし、考えてみれば、これは赤字になるのが当たり前のもの。例えば、公務員に給料を出したからと言って、それを赤字というだろうか。
また、くわしくは知らないが、他の作物においても、補助金は非常に少ないのではないだろうか。
そして、この度、民主党が出してきた直接所得補償も反当たり1.5万円という僅かなものだった。
とても、欧米のように、一戸あたり4〜5百万円の補助金なんて夢のまた夢。
実態はそうなのだが、しかし、報道されることは、WTO交渉に見られるように、米の関税維持等、一番農業保護にこだわっている国のように報道される。農業が交渉の足を引っ張っていると。
日本では、ここ20〜30年の間に、「自立しない農業はダメ・市場競争に勝てる農業でないとダメ」「補助金ばかりに頼ってきたから農業は伸びなかった」という世論が見事に作られてしまった。
「助成金をなくさないとそうならない」そして、「欧米のように規模拡大をすればもっと生産性は伸びて競争力がつくはずだ」と。
「そしたらあんたがやってみろ」と私は叫びたい。
一反の畦の草刈りに半日くらいかかる田んぼは日本中一杯ある。そんな田んぼばっかり、どうやって20町30町と1人でやっていけるのか。
規模拡大しないから儲からないのではなくて、儲からないから規模拡大をしないのだ。儲かればほっといても規模拡大は進むのだ。(イギリスでも「これは成り立つ、儲かる」となったから農家はわれ先に農地を拡大し、森林までも農地にしていって、今や逆に環境問題にまでなっているという。)
5. 報道されない欧米の直接所得補償制度
そして、ここが一番のポイントだと思うのだが、どうだろう。欧米の所得補償制度のことは全くと言っていいほど報道されないではないか。
報道されるのは、国内でのごく一部の成功している例。「こうやって頑張っている人達がいる」と。
これって一体どういうことなのだろうか。と考えたとき、私は、結局これは農業つぶしなのではないかとさえと思うのだ。
できるはずのない規模拡大をやれと言う。そして、ごく一部の成功例を上げる。これは、逆に言えば、「こうやったらできる。つまり、できないのはあなたがこうして頑張らないからだ」と言おうとしているのではないか。
しかし、成功例の大半は、田畑の条件の非常に良いところ。また、自分たちで独自のブランドを作り市価よりも高く売っている。そして、経営感覚もしっかり持ったスゴイ人が核にいる。・・・
しかし、これは日本全国すべての田舎に、すべての農家に当てはまることではない。ブランドにして売ることも、ごく一部の農家がするから成り立つわけで、全員がし始めれば共倒れになってしまう。つまり、確率的に100軒に1軒か2軒くらいしか成り立たない成功例なのだ。つまり、100人の受験生全員に1番になれと言っているようなもの。根本的に成り立たないことを言って、できないのが悪いと言っているのではないか。
農業というのは、このように競争に勝ったものだけが成り立てばいいものではないはずだ。それでは日本の農地は守れない。農業というのは本来、共生の世界のはずで、すべての農家が共に成り立たなければ意味がない。普通に努力すれば誰もが一応成り立つ、そうでなければならないはずだ。
それを可能にするのは、直接所得補償しかないと私は思う。
くどいようだが、先日も、テレビで昨年度の農業大賞受賞者の紹介をしていた。
宮崎のピーマン生産団体が、緑の普通のピーマンが輸入ピーマンに圧倒されダメになったので、苦労してカラーピーマンの生産地に作りかえたそうだ。
その苦労はとても素晴らしかったし大事なことだろう。しかし、では、普通のピーマンは輸入品でいいのだろうか。いくらカラーピーマンを作ったとは言え、やはり、大部分の需要は緑のピーマンのはずだ。つまり、他の多くのピーマン農家はつぶれていったわけだ。カラーピーマンにおいても、他でも作るところがいっぱい出てくれば、やはり成り立たなくなる話だ。つぶれたピーマン農家がみんなカラーピーマンを作り出せば共倒れだ。あるいは、これも輸入品がどんどん入ってくればどうか。
また、牧場経営で独自のジェラートを作って6次産業にした人も出ていたが、みんなが作り出せばどうなるだろう。
こうして、一部の人でしか成り立たない農業事例を見せられてガンバレと言われる、そうやって私達はだまされてきたのではないだろうか。
できないのは努力が足りない、工夫が足りない・・・、本当にそうだろうか。大部分の稲作兼業農家は会社の休みに農作業、朝から草刈り、・・・みんな必死に努力してきたのではないだろうか。
同様のことが町おこしなどにも言えるように思う。
「自分たちの町の良さをさがして都会の人を呼び込もう」
「特産品を作って売り込もう」
「温泉や名所を作って観光地としよう」
どれも、すべての町がやり出せば成り立たないことばかり。つまり、100の町に1つの町くらいしか成り立たないエサに飛びつく競争をさせられてきたようなものではないだろうか。
6. なぜ、欧米の直接所得補償制度は報道されないのか
それではなぜ、欧米の直接所得補償制度は報道されないのだろうか。
それは、つまりは、そのことを知って欲しくないということではないのだろうか。本当に農業を復活させるためにはそれしか道はないのだが、そのことは知って欲しくない。やって欲しくない。
つまりは、「農業は実は復活して欲しくない」これが、本音なのではないだろうか。
誰の本音か、それは、マスコミのスポンサーである『財界』なのだろう。
なぜか。
自分たちの工業製品を売るためには何かを輸入しなければならない。これが貿易のルール。一方的な輸出で貿易は成り立たない。
その輸入品として、それは農産品をおいて他にない。それだけでは足りないが、せめて、農産品くらいは輸入品として確保しておいて欲しい。
だから、本音のとこは自給率はもっと下がっても良い、ではないだろうか。
事実、小泉内閣の時の経済財政諮問会議で、米を完全自由化すれば自給率は12%にまで下がると農水省役人が説明したとき、財界の代表が「12%も残ればいいではないか」と発言している。
事実、戦後今まで、政府・自民党(公明党)は農業を守ると口では言いながら、やってきたことは結局は輸入自由化で、農業がつぶれることばかりだった。
そして、日本はWTOやFTA交渉において、途上国には工業製品の関税を下げろと詰め寄っている。アメリカとも自動車を輸出する代わりに、トウモロコシ、小麦、他、農産品は輸入すると。
これが、もし、本当に日本農業が復活して、例えば、休耕田に飼料米をどんどん作るようになり、家畜の飼料を自給するようになってトウモロコシを輸入しなくなれば、これは、普天間基地どころの問題ではなくなるのではないか。おそらく、報復措置で自動車他輸入ストップと言ってくるのではないか。
そうなってもらっては財界は困るのだ。
だから、日本農業に眠り続けて欲しい、それが本音なのではないだろうか。
(もし、世界がもっと不景気になり、輸出が本当に減ってしまえば、今度は、「自給率はこんなに低くていいのか」キャンペーンが張られ、農業に補助金をいっぱい出させて企業が農業に入ってくるだろう)
7. 構造的な問題の解決しかない
結局この辺りの構造的な問題を解決していかない限り、農業の復活はなく、ひいては根本的な田舎の復活もないのではと私は思う。
つまり、工業はほどほどでいい。GDPが中国に抜かれたと騒いでいるが、当たり前の話。人口が10倍あるのだから、GDPも10倍あるのが本来の姿。そもそも日本が二番目というのが無理があったのだ。GDPが低くてももっと豊かで幸せな国はいくらでもある。
オリンピックやワールドカップを次々しなくてもいい。世界人口が68億ならば、日本の力は68億分の1億2千万、つまり、56分の1でいい。56回に1回、つまり、オリンピックは224年に1回でいいのだ。
その分、農林水産業にもっと力を入れ、足腰のしっかりした自立した国、自国民の食料は自国で確保できる、そんな当たり前の国になってもらいたい。
工業も鉄鋼・自動車・機械等、基幹的なものはそれぞれの国が自国で生産するのが適切なのではないだろうか。
結局、国の目指す方向が、このように変わっていかないことには、農の復活、田舎の復活はあり得ないのではないかと、私は思う。
「食糧自給率」と「田舎の盛衰」は比例にあったのだ。「食糧自給率」が低いままで、田舎が復活することはあり得ないということだと思う。
もちろん、一気にそうなれば逆に大変なことになる。一昨年前のリーマンショックとやらで一気に輸出が減った時、私の住む田舎の中小企業は軒並み操業縮小、週3日勤務などになり、「困った困った」となってしまった。
いっぺんにそうするのは無理があるし、そんなことなるはずもないが、50年かかってこうなってしまったのだから、50年かかって元に戻していくようにすればいいのではないだろうか。
8. そのためには何をすればいいのか。
時間はかかるが、農業の大切さ、食糧自給の大切さ、安全な食料を国内で確保することの大切さを、国民に、特に都会の人に伝えていくしかないのではと思う。
今の農業の実態をしっかりと伝え、農家の所得補償なくしては農業の復活、食糧確保はあり得ない。規模拡大ではない。ということを、地道に伝え続けるしかないように思う。
この不景気、だれも助けて欲しいと思っているだろうが、私たちの要求というのは、国民の食料確保のための要求ということを理解してもらって。
そして、農民は、田舎は、もっと横の連帯を取って、「我がさえよかったらいい」道ではなく、みんなが成り立つ道をみんなで要求していくようにしなければならないのではないか。となりの人が、となりの町が同じことをやり出せば困る、早くやった者勝ち、そんな農業や町づくりではどのみち続かない。
まあ、妄想ですが、そんなことを夢想したくなる今日この頃です。
その手始めに、欧米の直接所得補償制度のことを、関心のある方、いっしょに研究しませんか。欧米の農業が成り立っているのは実はこれがあるからですよと、まず、回りの農家に言っていけるように。ほとんどの農家の方は、このことを知らされていません。
私も、ちょっと本を買って読みかけるのですが、難しくて・・・。
ご意見等ありましたら、ぜひともお聞かせください。
補稿
この意見が合っているのか間違っているのか、まず、私はそれが知りたくてなりません。
もし、規模拡大が成功すれば、農村人口は少なくなるわけですね。たとえば1軒20haになれば、20haに一軒の農家しか成り立たないわけです。
それが技術的に可能なれば、そうせざるを得ないのでしょう。
つまり、基本的に極力合理化を進めた上で、労働に見合う対価(報酬)が用意されればいいということなのでしょう。
インターネットで直接所得補償について、こんな意見がありました。
http://agri-biz.jp/item/detail/2369
土門剛 ドモンタケシという人(農業の専門家らしい)の
「駄農に小遣いバラマキを約束」というフレーズ。
「駄農に小遣いバラマキを約束しただけのことである。これでは農業の構造改革に逆行するばかりか、都市住民との間で不公平感が出てくる。」
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「こんな所得補償が導入されたら、誰しも『私も農家になりたい』と思うであろう。こんなことが民主党の金城湯池の都会の有権者に知れ渡ったらどうなるのか。」
この世論がまかり通っている限り、農業の復活、田舎の復活はあり得ないと思うのは間違いでしょうか。誰しも「私も農家になりたい」と思うようになれば、それは素晴らしい国だ。
誰しも、株で儲けたいと思うような国よりよほど健全じゃないか。
確かに、農業はこれだけ疲弊していても、農村の家はどこも大きい。都市の人がこれを見れば、農家はぜいたくだ。何でそこに所得補償なんだ。となるでしょう。
あるいは、農地は基本的に個人のものなのに、どうしてそれを維持するために税金なのかという意見も出てくるでしょう。
そう言う意見も含めて、さまざまに議論する場が欲しいとつくづく思うのです。
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