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    兵庫県宍粟市千種町の豊かな自然に抱かれてのびのび育ったニワトリと有精卵

 
2010.7.18 No.223
災害に思う ── 弱者にきつい日本

 梅雨の長雨、豪雨の被害、やはり、各地で起きてしまいました。最近は雨の降り方が違ってきたとよく言われ、私もそう思いますが、梅雨末期の豪雨被害は昔からずっとあったように思います。
 対策が追いつかないのは仕方がないと思いますが、いくら対策をしても、人の想像を超える自然の脅威は繰り返されます。
 基本的に、太古の昔から、大地は雨で浸食されて今の地形に至っているのでしょうが、その過程で常に山崩れというのは起こってきたわけですね。考えてみれば、今後、未来永劫今の地形のままであるはずがないわけです。
 ですから、人の方がそれを察知する力をつけて、「ヤバイ」と感じて逃げる能力を磨くしかないのでしょう。そして、どこかで必ず自然災害は起こるのですから、みんなの問題として、国が全面的に復旧を支援する、「災害が起こっても国が面倒をみてくれるから安心」そんな体制を作っていくしかないのではと思います。
 被害が出ても「自己責任」では、あまりにもきついです。みんな不安をずっと抱きながらの生活になってしまいます。とりあえず「自分のとこに来なくて良かった」と、自分さえ良ければになってしまいます。
 個人の財産を助けることに税金を使うことはなじまない…なんて、言っている場合ではないのではと思います。みんなの問題ではないでしょうか。
 被害の出たところには自衛隊が素早く出動し、復旧まで面倒をみる。約5兆円ある日本の毎年の防衛費。それだけあれば、ほとんどの災害復旧はできるような気がするのですが違うのでしょうか。
 
 このような、困った人、弱者にきつい日本の風潮は、何も災害に対してだけのことではないようですね。
 例えば、若者の就職を見ていても、働きたくても働く口がない、まともに働いても安月給で生活できない。何とか、就職できている者は、「できない者は気の毒に…」。
 「何を甘いこと言ってるんだ」と言われるかも知れません。昔から弱肉強食。強い者が勝ち残ってきたのが社会の常だと。
 確かにそうでしょうが、それでは、人類は本当に進歩がないように思います。
 封建時代から民主主義に「進歩」した…なんて言われますが、封建時代の殿様と最貧民の格差より、今の超大金持ちと最貧民の格差の方が大きいような気さえします。
 各自が、社会が、世界が持っている、すべての富を合わせれば、今の世界の人口が平和に暮らしていけるだけの富があるのではと思うのですが。
 時間のある者は時間を、知恵のある者は知恵を、金のある者は金を、出し合って、共に暮らしていく…、そんな社会なんて夢のまた夢なんでしょうか。